武士道と死生観~国家の為に死す

特別篇 第40弾 令和5年8月13日放送

番組の趣旨

明治維新王政復古によって我が国の武士道は、尊皇精神と見事な総合一体化を遂げ、同時に西洋の物質文明をも吸収駆使することによって、かの日清・日露の大戦果を収めました。この日本の大勝利は、欧米諸国にとっては、まさに驚嘆すべき事件でした。

彼らは、日本がなぜ斯くの如く強いかを、改めて探求しはじめました。そして、日本には独特な国体があること、武士道があることを知り、特にその武士道の神髄は、任務のため、名誉のため死を顧みない点にあることを知りました。

しかし、結局は、日本人というものは彼らには充分理解させなかったようです。それは無理もありません。個人主義的、利己主義的な世界観によって心を占領され、社会と国家が別々に存在する人生を生きてきた彼らにとっては、日本人の全く類を異にした国家生活と人生観、死生観は解き難い謎であったに違いないのです。

明治9年に明治政府より招かれ来日したベルツ博士は、東京帝大の医学教授となり、明治38年にドイツに帰国するまでの29年を日本で過しました。この間、医者として上下各階級の家庭に出入りして、日本人を知る機会を得ます。また、皇室の顧問医も勤めます。彼は『日本人の死の軽視について』という論文を著わし、その中で、「武士階級というものが国民中驚くべき多数に上り、かつ、農工商いづれも武士を模範として"武士の如く"立派な人間であろうと努めた結果、武士の死の軽視、生の軽視の思想は一切の階級を貫いて浸透している」と述べています。

日本人が戦場へ赴く時には、家族や友人と水盃を交わします。自分の家族やその他の個人と結びつけている一切の絆を断ち切り、この瞬間から彼は家族にとっては死んだも同様であり、彼にとっては家族も友人も死んだに等しい存在となるためです。別離に際して水盃を交わしたら、それは、この別離が永遠のものであることを意味していたのです。

このように、戦場に赴く兵士は、家族や友人と水盃を交わした瞬間から、一切の繋縛(けいばく)を離脱し、一切の個人的欲求を抹殺し、生きながら死んだと同様になってしまいます。そして、彼のエネルギーはそれによって消滅することなく、ある一点に集中していくのです。何の顧慮するものもなくなるため、かえってそのエネルギーは増大するのです。

自他一切の生活に対して何の顧慮も必要としない人間は、自分と対峙する敵のことだけが唯一の思考の対象となるのは明白です。こうした人間は、胸中に別の感情が巣喰っている人間より遥かに恐ろしい存在となるのです。もしこの両者が戦いを交えるなら、勝敗は自明のことです。自分自身に関係する一切の感情が沈黙している時、知性は明澄に冴えるからです。そして、異常に客観的になるのです。

そこで、今回は、終戦の日の特別番組として、世界各国の軍人たちに恐れられた日本軍人の死生観を通して、「日本の秘密」とも言うべき武士道について、視聴者の皆様と共に考えてみたいと思います。

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